絵みるのなんで好きやねん?
たまには自分を棚卸ししようかいねってことで、
「なんで絵画を観るようになったんだろうな」ってことについて書いた。
おれんちには絵画が普通に飾られてあった。
飾ってあったのはボッティチェリやラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチらルネサンスの巨匠たちや東南アジアの妖しくエキゾチックな絵画なんかの美しい作品たちだった。
それを小さい頃から日常的に目にしていたってのもあって絵画に抵抗はなかった。
べつになんてことない印刷物だったけど、彼らの絵画には美しさがあったんだ。
流麗な線描と透明感のある鮮やかな色彩で表現される幻想的な世界、
我が子への慈愛をしっかりと感じられる目くばせや嫋やかな手、
三角形を基調としたとても安定感のある構図、
鑑賞しているこちらに妖しく微笑みながら投げかけてくる視線、
バリで買ってきた誰が書いているのかも今となっては分からないエキゾチックな絵画、
どれもが質感を持って感じられる絵画だった。
だが、正直なところ身近すぎたゆえか絵画に対して関心を持つのは遅かった。
そんなおれが絵を観ることを好きになったきっかけは、小学校高学年の時にパリのオルセー美術館でマネの『オランピア』に出会ったことだ。
遠い異国の地で時間も忘れてしまうような薄暗い館内の一室にて彼女と出会った時のことは今でもはっきりと、より正確に言うならば現実よりも美化された記憶として残っている。
まだ小さな子どもであったおれが彼女と出会った時に取った行動は、周囲の人がこちらを見ていないか確認するというものだった。
なぜならば、この絵画を観るとすぐに分かるだろうが、とても背徳的な印象を持つ絵画だったからだ。そりゃそーする。
誰もこちらを見ていないことを確認し、今度は腹を決めて注意深く観ていく。
するとどうだろう。
美しく気品すら感じられる彼女は確かにこちらへ目線で、体で何かを語りかけてきているように感じた。
だが、おれにはそれが何だったのか結局分からなかった。
「こんなにも近くで観ているのに、あんなにも遠く感じるなんて・・・」
おれはだんだんと彼女の目が失望感を帯びてきたように感じられてきて、その場にいられなくなった。
このほろ苦くも甘い出会いがおれと絵画に対する付き合い方を変えた。
おれは美術史を学び絵画をより注意深く観ることや構造的に観ることを、つまり審美的に観るようになった。
そしてもうひとつ、絵画が何を語りかけてくるのかについても考えて観るようになった。
いつの日か彼女と再会した時に、今度こそは彼女を失望させないために。
あ、浮気と言うか目移りもするよ。
でも、しょうがないだろう?
彼女たちはもうなんて言うかね、シンプルにすごいんだ。