原口顕人の振り返りブログ

本当は馬のこと書きたいけど書けない系ブログ

学校に行かなくてもいいんだよ

伝えるなら書かないとね、ってことでいい機会だから書いた。
 

 学校に通わなくなるのには色んなケースがある。
いじめられたりいじめちゃったからだったり、通う理由が見出せなかったり、勉強についていけないからだったり、家庭内のトラブルでそれどころじゃなかったり…
これ以外にも色々あるだろうし、挙げた中でも本人がどこに強いストレスを感じているのかなんて分からない。
そんな複雑な問題を抱えているのに、他人から「学校に行かなくてもいいんだよ」なんて一般論を言われても正直響くとは思えない。
それは理解しているけれど、大きく見れば同じ、不登校からニートを経験した者から伝えることがあるとすれば、
「学校に行かなくてもいいんだよ」とご家族へ伝えたい。

 理由は三つある。
一つに、私は高校へ行かなくとも高卒認定を得て大学を入学・卒業し、一般企業に就職する道を実際に取れたからだ。
「学校へ行かなかったら就職もできず自立した生活ができない」という考えは間違っている。
自立した人生を送るために最も必要なのは義務教育ではなく、自己理解と誇りだと感じている。
自己理解と誇りを得るためには、周囲との関係性の中で気付きを得ることや自分自身と対話する必要がある。
そして、それは何も学校でなくともいい。


もう一つは、自分で選択するという行為はシンプルに面白く楽しいものであるからだ。
とは言え、人生で最初の選択が「学校へ行かない」とするものであったならば、選択をする段階では先が不明瞭で不安材料の多いもので押しつぶされそうになるだろう。
けれど、選択を繰り返すことで先見性や選択を成功に導く帳尻合わせ力がついてくる。
人間どこかで選択をしなければならない。
それならば、それを早いうちに練習できるのは非常に幸運なことであると言える。


最後の一つは、他人と違う視点を労せずして得られるというものだ。
これは特異な体験として話のタネになるのはもちろん、実務的なメリットがある。
そして実際のところ、それは「学校へ行かない」という選択肢を選ばなくとも得られるのだ。
真剣に検討するだけでその効果は十分に得られる。
なぜなら、他人が当たり前に行う行為に対して前提条件から深く考えて、そのメリットやデメリットを整理したり、違う切り口から自分を客観的に見つめ直すということを既に行うことで素養が出来ているからだ。


以上の三つの理由から私は「学校に行かなくてもいいんだよ」と伝えようと思うに至った。


 

 

 人間は損失の方を大きく感じる生き物らしい。
だから、逃した魚や逃しそうな魚についてばかりついつい考えてしまう。
そればかりか、リスクを過大に捉えて天秤に乗っけてしまい選ぶべきでない方を選んでしまうこともある。
そういう生き物だからこそ、これについてはしっかりと考えたいなあ。
「このリスクは本当にリスクなのか?何に対するリスクで、それはどのようなものなのか?」

 

 

経歴
・1993年1月 福岡県で出現
・2005年3月 福岡市立草ヶ江小学校を卒業
・2005年4月 福岡大学附属大濠中学校へ入学
・2006年 親族のアルコール依存症が原因で不登校
・2008年3月 3年生はまったく通わずに上記中学校を卒業
・2009年3月 親族の転勤により東京都板橋区へ転居
・2013年3月 親族の転勤により福岡市中央区へ転居
・2015年12月 「高認塾 福岡」さんのもと、高等学校卒業程度認定を取得
・2016年4月 福岡大学商学部第二部入学
・2017年4月 福岡大学商学部商学科へ転学科
・2020年4月 一般企業に入社予定