0719 3年ゼミ(音楽振返りの回)の感想
この日の前半は、音楽についてそれぞれ改めて考えてそれをシェアしていった。
自分のを挙げると、「どこからが音ではなく音楽なのだろうな」って問いから
「音(無音を含めて)を区切ったり面白さを感じるなど意味付けしたら、そっからはもう音楽や」
ってな具合に定義の更新が入った。
で、更新が入るとまた自分の中で問いが出てくる。
「それじゃあ音楽って人間にしか許されていない行為なのかな?」
「意味付けを他の動物や植物は行えるんかいな?」
「この定義だったら、例えば、キツネが雪の中でそろそろ動くネズミの音を聞いて狩りをするのも音楽?
いや、これは彼らにとっては音楽ではないと何となく思うけど、観測者たる人間にとっては音楽になりうるか?」
etcetc
たぶんこのサイクルに終わりはないんだよな。
それは自分にとって好都合だけども。
後半は、「2人とか少人数やと感想言いあえるのに、なんで手挙げてのそれはできないの」って問いに
ラザラスとフォークマンのストレスモデルから考えていった。
とりあえず、できる時できない時、実際にできてた時できてなかった時で整理しながら考えていった。
自分の場合のできる時やできてた時は、シンプルにストレッサと感じていなかったり、
言いてえ欲が自分の中で抑えきれなかったり、
自分の発言が誰かへ揺さぶりをもたらすギフトになればって思ったり、
喋りながら考えまとめたい時あるやん?って感じだったり、
ファーストペングウィンってステキやん?ってのがあった。
次に、できない時やできてなかった時は、発表できる枠を、つまり成長の機会を他人から奪いたくないって気持ちや、
なまじ内容がいいと、本当はそんなもん存在しないのに、その場で許容される発言の幅が狭まったと
勝手に感じられてダンマリが生まれるってクソみたいな文化の存在から発言をためらってたなあ。
そういう意味では、場への貢献についてだったり、「自分もちゃんと成長する先輩モデル」の確立が急がれる。
てか、前に浅野さんに言われたのってこれにつながってんのやないか。
もしそうなら、もっと分かりやすく言えやいあのじいさんめ。
ってな感じで「視野広げてみようぜ」定期はとりあえず終了?
こうやって定義を更新する時間ってのは自分にとってとても有意義な時間だからめちゃよかったなあ。
つーか、おれはたぶん、その有意義な時間を得るために行動しているんだな。
ありがてえことに、この「視野広げてみようぜ」定期を通して自分の傾向や行動原理の理解に近づけたぜ。
3年ゼミ生と森田先生、お邪魔させてくれてありがとうございました。