0510 3年ゼミ(哲学振返りの回)の感想
前回の振り返りの機会を設ける、と聞いてこの週も3年ゼミにお邪魔した。
須長さんも見てくださっているらしいので、この回の感想を。
テイクばっかじゃ悪いしね。
まず、前回の補足からは、
「答えがない問いだから答えを出さなくていい、は違う。
その都度ひとつの答えを出していくことで、初めて前にも横にも後ろにも進める」
的なことを仰ってたのが響いたなあ。
今後のAI、課題解決型社会に向けたトレーニングという意味もあるかもやけど、
議論や思考が進んで満足するって意味で、シンプルに取り入れたいと思う考え方だった。
取り入れたい繋がりで、概念をブリコラージュっちゃったら説明を工夫せななあってのも前回に引き続き感じた。
もうこの一文が説明する必要ある内容なのかもやけど。
ともかく、ベン図や平面上の座標軸あたりは簡単に取り入れられて、
説明だけやなく思考や見落としも減りそうやなあ。
「誤解を恐れずに言えば、問いを立てることに加えて、適切な問いを立てることが大事」
的なことを仰ってたのも印象に残った。
ぽこじゃか問いを立てまくるよりも筋のいい問いをひとつ立てる方がいいよね問題、
その理由は単純で、知識同様に問いも文脈、「脱げない鎧」になってしまうからって話やった。
ナンセンスな問いは他人を巻き込まずに自分の頭の中でやってろ、って意味もあるかもやけど。
じゃあいい問いってなんや?って話になるけど、
ひとつの答えが、「不完全なところを補うためのもの」らしい。
でも、これすら答えのひとつに過ぎないのかもと感じた。
例として出てていたのが転職アドバイザーとしてヒアリング、って状況だったからかな。
問いはコミュニケーションとして、本質に迫るものとして、整理するものとして、
思いつかんだけで他にも色んなものがある。
「不完全なところを補うためのもの」なんて漠然としたもんやなくて、もうちょいそれぞれに特化した「いい問い」があるんだろうなあ。
次、「体験・経験を通じて成長できる人ってどんな人?」ワークの感想。
森田先生も仰ってたけど、利己主義の時とは違い、チームで定義を統一するとこから入るのやらができてなかったのが不思議だったなあ。
成長に対してみんな一家言あるからかいな?そうだとしたら、まさに「脱げない鎧」がしっかりと装備されていたんだと思う。
もうひとつ感じた「脱げない鎧」の傾向は、自分が体験や経験をした当事者だと
暗黙的に規定して議論をしていたところ。
でも、これに関しては反証の例を考えている時に自分以外の例も出てきた。
反証を考える際に深化じゃなくて探索型の思考をしたから出てきたのかなあ。
とかなんとかやってると本当にあっという間で、問いに答えを出すのが大事と言われたばっかなのにチームとして出せなかった。
その代わりと言っては何だけど、ありふれた「成長」という概念に対してみんなが問いを立てられたと思う。
成長ってなんだ?