0426 3年ゼミ(哲学回)の感想
3年ゼミで面白いことをやるようなのでお邪魔した。
講師がまさかの須長さんでびっくり。狭いなあ。
およそ3年ぶりの再会なのに覚えていてくださった須長さんにちょっと感動。
「はて、自分は今何に感動したのだろうか?」
と考えていると、講義がはじまった。
そもそもこの講義が成立したきっかけの一つは、
問いを立てるための引っかかりを作れるように
知識としての哲学やなくて哲学の考え方を使ってみてや~って感じだったらしい。
あとは、知識は血肉となり捨てられないからこそ、ついつい連続した文脈上で考えてしまうデメリットである「脱げない鎧」があるんやで、
ってとこから、
囚われてると認知した後の解決策の一つとして、既存の知識や状況に問いを立てて揺さぶり鎧を脱ぎなはれ、
って話もあった。
実学としての哲学や美術史、宗教学といった教養学の位置はここやんなあ。
もちろんそれだけやないと思うけど、「それって意味あんの?」ってなせっかちな人にはこう説明したらよさそうやな。
須長さんのお話のあとは、こちら
利己主義にまつわるあらかじめ出されていた課題を用いてのワーク。
ほんで忘れちゃならんのが、
「主張するよりも、耳を傾けて自分を揺さぶること」
が今回の目標。これがまた難しいんよなあ。
今回のグループの流れは、
感想・認識の共有
↓
100%の利己主義てないんちゃう?状況による条件とかあんのかいな?
↓
状況もあるやろけど、それより利己と利他が入り混じってんのとちがう?
↓
利己と利他の割合と、プラスそこに行動が伴うかで人は価値を見出せるんやない?
↓
利己主義が根底にあったとして、倫理や道徳的にいいとされてる行為に価値を見いだせなくなるわけやないよな
↓
利己主義が根底にあったら、下心のある恋は存在しても無償性が求められる愛って存在しないの??
愛が存在すると思ってたから根底には利己主義以外もあるって思ったんやけど??
↓
愛ってなんだ?
って感じだった。
もっと女子大生と愛について語り合いたかったけど、時間切れ。
ともあれ、問題はそこじゃなくて、これも自分の文脈の延長線上の内容からあまり逸れられた感じがあまりなかったこと。
素直なひねくれ方をしていて、姑みたいに重箱の隅つつける自分としては
今回もいい揺さぶりを提供出来てはいたけど、自分を揺さぶれてたのかはかなり怪しい。
どうやったら自分を揺さぶれるんや。
何が足りない?共感力?1stステップの引っかかりが得られないこと?もっと踏み込む覚悟?
やってくしかないのかもけど、なんともなあ。
それと、もうひとつ自分の傾向として、
「なぜこの人はこういう行動・解釈をしたんやろう?」と感じると、
自分が理解できるまで相手と認識のすり合わせを行い続けて
「それってこういうこと?」「そういうことね、納得できた」
が出てくるまで囚われちゃうのあるよなあ。
これって自分の総合的で即興力ある能力もいるし、相手にもかなり求めるとこあるんよなあ。
ハッキリと主張できたり、曖昧でも言語化したり、安易な答えに飛びつかないこととか。
時間の制約ももちろんあるし、この傾向との付き合い方は思案のしどころやなあ。
そんなこんなで色々考えさせられることや整理できたこと、得るものが多かったゼミだった。
こりゃあ断られなければまた行きたいね。