就活じゃなくてエッシャー展の感想
最近は部活と就活の繰り返しで同じ刺激ばっかりだったから、
かねてより行きたかった「ミラクル エッシャー展」に行ってきた。
行ってみるとこれがなかなかいいもんで、認識したものが別のものへと認識が移り変わる間のラグを楽しめたひとときだった。
そんなエッシャー展の感想を今回は書いていく。
まずはエッシャーの軽い説明から。
エッシャーは「だまし絵」で有名な版画家で、こんな作品を残してる。
『Day and Night』は彼の特徴である「正則分割」と「変容」が見られる代表作品。
「正則分割」とは、もともとスペインのアルハンブラのびっしりと敷き詰められたタイルから着想を得たものらしく、それを彼なりに発展させたもの。
さらにそこから、例えば空間に融け合うようにだったり姿が変容していったりする表現へ発展させていったんやって。
『Waterfall』の方は「循環」や「正多面体」が見られる。
滝から流れ落ちた水が水路を通りまた滝にたどり着く、一見自然だけど現実にはありえない構造のこの作品も彼の代表作品やねえ。
地味に彼が好きな正多面体が屋根の上に登場していたりもする。
そんな彼の展示会だったけど、彼は決して奇をてらうためだけにこういった作品を書いていたわけではなさそうだったなあ。
この『Rome』なんか、前景中景後景どこを見ても手前の聖獣ボルゲーゼが焦点の隣にぼやけて入り込んでくるから、本当にその場に居るような臨場感あふれる風景画になっていると思うし
この、天地創造の一場面である『The Second Day of the Creation』もそう。
実際に近くで見たらより分かるけど、白と黒で表現しなきゃいけない版画で雲の描き分け(個人的に上部右側の雲の表現の仕方が好きだったなあ。なんかワクワクするもくもく感あるねんて)や、
波しぶきとか力強くうねる波の表現も奇をてらったものではないとこがあった。
これなんか色々想像働いたなあ。
銅版画のメゾチントだったと思うけど、ちっさい傷引っかけてってこんなん作るって技術的にやべえよなあ~とか、
鏡見ながらやったんかいな、瞳の中にエッシャーが映り込んでるやん・・・と思ったら骸骨やし。エッシャー自身ではあると思うんだけど、なんでその姿を選んだんだろうかなあ。
1946年作だし、WWⅡのこともあるんかいな~とか、
他の、特に後期のエッシャーの絵からは感じ取れない、気持ちってか芸術家っぽさ?がにじみ出てるように感じたんだよなあ。
とにかく、「自分は芸術家ではなく版画家」と(たしか)言ってたエッシャーの作品では異質だった。
『Reptiles』。
これは単純にとことこよじよじ鼻息しゅぽーのトカゲがかわいかったから好き。
そんな感じのエッシャー展だった。
正直彼については「だまし絵」としか印象になかったから、彼を知る意味でも今回はいい機会になったなあ。
想像を巡らすことでリフレッシュ以上のものも得られたと思うし、やっぱりこういうのは定期的に行きたいなあ。