AIコミュニティ(仮)第2回の感想
前回はこれ。
今回は、各々が興味ある分野から調べてきたものや感じたことを共有しあった。
この記事では、その中で出てきた話の中で自分が感じたことを書いておくかな。
まず1つ目、「AIだなんだの前に、そもそもサービスビジネスにおいて顧客との接点ではどんな価値が生まれるんだ?」ってやつ。
なんとなーく、AIやロボティクスが発展してバックヤードの業務が最適化すれば、最も価値を生み出せる対人のポイントにリソース集中できるよなあ、と思っていた。
だけど、ファストファッション業態のアパレルなんかはちょっと違うよなって。
接客うぜえ瞬間は間違いなくあるし。
もちろん、床屋さんや外科医みたいに、「機械より人間にやってもらいたいなあ」とかの感情面から導入が進まんとこもあったりする。
そんな感じだから、当然と言えば当然だけど、各ビジネスモデル毎にAIらは特殊解的に導入されていくんだろうなあ。
大きく考えられるところと小さく考えないかんところ、もっともっと小さく考えないかんところってな風にしっかり分けてかないかんのやろな。
2つ目は、「AIが書いた絵に価値あんの?」ってど真ん中直球なやつ。
「AIが書いた絵に43万ドルの値がついたからあるでしょ」って話で終わらせちゃいかんねこれは。
このままの問いでは少し漠然としすぎているから、少し条件を絞って考えてみる。
「絵画を描かない鑑賞者は、絵画に何の価値を見いだせるのか」で考えてみよう。
これに対するおれの考えは、「投機的価値」「資料的価値」「娯楽的価値」「フレーム価値」があると思う。
「フレーム価値」ってのはあれや。
例えば、ある人たちは宗教画を見ている時、絵を見ているだけでなく自分の信仰やあり方をそこから見ていて、そうすることでGodheadの存在を感じていたりする。
それは別にそいつがアブねえって話じゃない。
絵画が持つ情報量を考えると、絵画に込められた情報をフレームとしてそっから何を考えるのかは鑑賞者次第でいくらでもあるのは当然のことや。
もともと絵画は、美術史をはじめ、主題や描かれたものに込められた意味、類似作品、同時期や前後の絵画、作者の経歴、絵画の来歴、注文者などを知っていれば物質としてそこに存在する情報量とは比べ物にならないほどの情報を持っているからね。
それらの人それぞれの価値をひっくるめて、 「フレーム価値」とおれは名付けた。
で、それらを考慮した上で件の「AIが描いた絵に価値あんの?」を考える。
考える。考えたけど、まだわかりませんわこれ。
けど、おれの中では確かに価値がある。
だって、「AIが絵を描けるようにプログラムされ出力できた」ってだけで絵画の持つ根源的な価値や感情・感性といったものらについて考えるきっかけになったんだからね。
もうAI様様よ。ほんと退屈しねえぜ。
AIにまつわる責任問題の話とか、まだまだいっぱいおもろい話があったけど、とりあえずこんな感じやった。
たいへんおもろくてよかった。
さて、次のテーマは何にしようかねえ。
最後に、その日自分が使ったスライドの紹介。
「アート」「子育て」「宗教」をテーマに取り上げ、現在行われている取り組みを中心に共有したよ。
ちなみに、このスライドはAIを用いている「Beautiful.ai」てやつを使って作った。
これすげえのな、もうまじで楽やったわ。しばらくこれ使うわ。
おわり。